八丁櫓(はっちょうろ)
駿府城に浮かぶ焼津八丁櫓
大御所駿府入城四百年記念に合わせ、焼津からトレーラーで2隻の八丁櫓が駿府城に運ばれました。
お堀に浮かぶ八丁櫓。江戸時代はいろんなご法度があり、船も七丁櫓までと決まりがありました、しか
し焼津の船だけが八丁櫓を許されたのです。どうしてかって?
では、焼津八丁櫓の歴史を紐解いていきましょう。
時は戦国時代、甲斐の武田信玄は花沢城において水軍を組織、近隣の海賊や遠く伊勢の海賊をも集
めます。天正8年(1580年)数倍の北条水軍を撃破するも、武田家は滅びます。残された水軍は徳川
に降伏、このときそのまま焼津に暮らし漁師や帰農した者もいるそうです。家康が大御所として駿府に
入城してからはたびたび鷹狩りに田中城を訪れます、帰路は船で駿府に戻るため焼津の漁師が護衛に
あたりました。家康の乗る安拓船は櫓が60本あり、漁船の7丁櫓では追いつけず、このとき8丁櫓が認
められました。これが焼津八丁櫓の由縁です。船足の速い焼津八丁櫓は漁場でも活躍し焼津漁業の
礎を築きました。
現在の八丁櫓は10年前に復元されたものです。来年はフランスで行われる帆船祭りに参加する予定
とのこと、成功をお祈りします。
東御門内での和太鼓の演奏、八丁櫓に花を添えます。
体に響く和太鼓の音に感動しました。
浮月楼の葵弁当 限定品
浮月楼は徳川慶喜公が明治2年よりお住まいになったお屋敷です。
中は二段になっています。下段は松茸ごはん、上段は八寸など、家康の好きだった鯛の揚げ物もちゃ
んと入っています。とっても贅沢な御弁当です。

























